芳香族化合物の実験 (1)




  ベンゼン環を始めとする 「芳香族炭化水素」は、6角形の炭素の骨組みが作る平面上を 電子の雲が取り巻いて共鳴状態(=π電子雲)にある一群の量子力学的に安定な化合物を言い、ベンゼン環(ベンゼン、トルエン、キシレン、ビフェニルなど)、縮合環(ナフタレン、アントラセン、フェナントレン、ピレンなど)がある。 ”芳香族”という名前は、19世紀に 一部の芳香を持つ化合物の共通構造だったことからついたが、現在は、それらを基にした非常に多岐にわたる化合物の一群を言うようになった。 縮合環のあるものや 芳香族アミン、ニトロソ化合物などは、毒性や発がん性を持つものが多い。
  cf. 環構造に炭素以外の元素が入った物は「複素環化合物」と言う。(O: フラン、N: ピロール、ピリジン、 S: チオフェン など)、 複素縮環(N:インドールなど)、
  また、−CH2−構造の脂肪族炭化水素が環になった 「脂環式化合物」 シクロプロバン、シクロペンタン、シクロヘキサン、 テルペン、ステリンなど、 の一群があり、これらは脂肪族の性質を持つ。)

  芳香族炭化水素の最も簡単なものである ベンゼンは、6個の炭素環の平面上をマイナスに帯電した6個の電子雲が外に出て共鳴している状態なので、プラスに帯電した(=陽イオンの)「求電子試薬」が存在すると、水素イオンと置換反応を起こし、ニトロ基、スルホン基、ハロゲン基などが付加されていく特徴がある。 緩い反応条件では モノ(1個)、 条件を強くすると ジ(2個)、トリ(3個)などの置換が順次行われる。



  1. ニトロベンゼンの作成: 腐食・やけど注意


  ニトロ化置換反応は、求電子置換反応であり 硫酸の脱水作用によって電離した ニトロニウムイオン NO2が ベンゼン環上の水素を+イオンとして追い出し(硫酸水素イオンHSO4が引っ張り)、ニトロ基がベンゼン環の一角に収まる。

     HO−NO2 + 2 H2SO4 ⇔ H3O + 2 HSO4 + NO2 (ニトロニウムイオン)
     、    HSO4 + H → H2SO4 (酸触媒)

  冷却しながら、500ccフラスコに、硝酸(60%) 100ml を入れ、 硫酸(97%) 114ml を少しずつ加えて、混酸を作っておく。(硫・硝酸 取扱注意) 冷却しながら、これにベンゼン(bp.80.1℃) 86ml を、温度が上がらないように注意して(できれば氷冷して)、30分かけて滴下し、よく振り混ぜる。 滴下が終わったら、60度の湯に漬けながら 約30分振り混ぜる。フラスコを持って振り混ぜるときはゴム手袋をする。湯は何回も交換する。 (* 60℃以上に上げると ジニトロやトリニトロベンゼンができて爆発性となるので注意)

  分液ロートに入れ、上層を取る。(下層は酸なので、多量の重曹で中和して捨てる)、 再び分液ロートに入れ、水と共に振り、もう一度水と振り、さらに10%重曹水と振って酸を完全に除く。 無水塩化カルシウム(粒状、20g)とよく振り混ぜ乾燥させる。(液は水分が抜けて透明になる) この液と、残りをジクロロメタン(bp.39.6℃、数ml)で洗った洗液を、蒸留フラスコに入れオイルバスで蒸留する。 (油の温度で、)160−180℃(ペン型温度計(モノタロウ))の留分はジクロロメタンや未反応のベンゼンなので 捨て、210−230℃の留分を取る。(軽く手動ポンプで減圧) (フラスコの底にいくらか残る蒸留残渣(褐色)は爆発性なので、少し残して蒸留を終える) プラスチックのフラスコ・ストッパー(緑色)は200℃を超えると溶けるので、使わないか 金属製を用いる。

  ニトロベンゼン C6H5NO2 M=123.1、bp.210.9℃、mp.5.7℃、ρ1.2)、 以上の操作を2回行ない、収量約200g。

  




  2. アニリンの作成: 腐食注意


  アニリン(M=93.13、bp.184.1℃、ρ1.02)は、ニトロベンゼンを 錫 + HCl、あるいは、鉄 (+塩素イオン(触媒))で還元して作られる。
     
  500mlフラスコに、錫(Sn) 47g、 ニトロベンゼン(C6H5NO2、bp.210.9℃)20mlを入れ、ゆっくりと塩酸(35%)120mlを滴下し、初めは発熱するが、その後は時々温めながら、20分ほどよく振り混ぜる。 ニトロベンゼンの層がなくなって単一層になっていることを確認。(反応の終点) 濃い水酸化ナトリウム(NaOH 70g/水150ml)をあらかじめ作って冷ましておき、よく冷やしながら加えると、アニリンが遊離する。(錫酸はある程度残り、pHが上がらず、突沸せずに蒸留できる。)

  オイルバスで、(油の温度で)130−160℃の留分を取る。アニリンは水と共沸混合物(98.5℃)を作るので、水と共に蒸留される。 留液に食塩を飽和まで溶かして塩析してから 分液漏斗に入れ、上層を取る。(アニリンはρ=1.02で水とほぼ同じなので比重で分け、また、水に若干溶けるので、このように塩析する)
  その後は、量が多ければ固形の水酸化ナトリウムで(塩カルは不可)乾燥してもう一度蒸留する所、今回少ないので、ジエチルエーテルを加えて振り、その上層をそのまま管ビンに入れ、ホットプレートでエーテルを飛ばした。  収量: 約15g

  * また、鉄と、触媒レベルの塩素イオンを用いる ベシャン(Bechamp)還元法は、工業的に行われてきた。 (近年はNi、Cu触媒による水素によるニトロベンゼンの直接還元も工業的に行われている。)
  この反応は、鉄が、四三酸化鉄に酸化される過程で、ニトロベンゼンが還元され、塩素イオンは触媒として作用する。 ニトロベンゼン 20ml、 鉄紛 40g(過剰量)、 塩化鉄(V)(FeCl3・6H2O) 5gを水100mlに溶かしたものを混ぜ、結構、発熱した。 ただし、反応の終点が分かりにくく、沈殿物が多いので突沸しやすくやや大掛かりな水蒸気蒸留以外では蒸留しにくいのが欠点である。 材料費は錫よりはるかに安い。(中国製の錫粒100gで2000円位)

     C6H5NO2 + 3 Fe + 6 HCl → C6H5NH2 + 3 FeCl2 + H2O、
     C6H5NO2 + 6 FeCl2 + 6 HCl → C6H5NH2 + 6 FeCl3 + 2 H2O、
     FeCl2 + 2 FeCl3 + 4 H2O → Fe3O4↓ + 8 HCl
   ∴ 4 C6H5NO2 + 9 Fe + 4 H2O → 4 C6H5NH2 + 3 Fe3O4↓


 
  



  3. ブロモベンゼンの作成: 腐食、換気注意


  ハロゲン化、臭素の付加反応では、酸触媒(硫酸)を用いず、鉄を触媒として、同様に、臭素陽イオン Br求電子試薬となって、臭素が付加し、水素イオンが取れて臭化水素が出る。(塩素の場合も同様)

     Br−Br + FeBr3 → Br (臭素陽イオン) + FeBr4 (臭化鉄酸イオン)

     、   ∴ C6H6 + Br2 → C6H5Br + HBr ↑

  臭化カリウム(KBr、M=119.0)(40g/100ml水)に、過硫酸アンモニウム(ペルオキソ二硫酸アンモニウム、(NH4)2S2O8、M=228.2)(50g/100ml水)を穏やかに温めながら加えると、臭素が留出する。 これを2回行なって、臭素 Br を約20ml(60g)作っておく。(水層があっても構わない) (排気する事、換気注意、アンモニア水を少し撒いておくと緩和する)

  臭素を分液ロートに移し、500ccフラスコに ベンゼン(C6H6、M=78.1、bp.80.1℃)28.5mlと 鉄紛(Fe、触媒)1gを入れ、冷却しながら臭素を滴下する。同時に、等量の臭化水素が発生するので、確実に外に排気するか、水かアルカリに吸収させて除く。(逆流注意) 滴下終了後は60℃前後に温め30分よく振り混ぜる。 (臭化水素は臭素と違ってシリコンゴム・チューブを侵すので テフロンテープを巻いて補強する)
  反応後の液を分液ロートに入れ、水洗、10%炭酸カリウムで脱酸する。この時、p(パラ)−ジブロモベンゼンの結晶(mp.85℃前後)が混じるので少し全体を温めると分液操作ができる。 無水塩化カルシウム(粒状)と振り脱水する。 最後は、オイルバスで、最初の留分は捨て、(油の温度で)220℃前後の留分を取る。 蒸留残渣は 常温まで下がると結晶する。 パラ位に入ると 融点が上がる。

  収量: ブロモベンゼン(C6H5Br、bp.156℃、ρ1.50) 35g、  (副産物・蒸留残渣の 主成分) p−ジブロモベンゼン(p−C6H4Br2、mp.83−87℃、bp.219℃、ρ1.84、パラジクロルベンゼン(パラゾールなど)と同じにおい) 約9g
     

 

   



  4. ベンゼンスルホン酸ナトリウムの作成: 腐食・やけど注意


  古くからフェノール合成の原料として作られてきた ベンゼンスルホン酸ナトリウム(C6H5SO3Na)を合成してみる。 2個の硫酸が解離してできる 三酸化硫黄 SO3求電子試薬となり、−SO3 が入って Hが出る。

     HO−SO3・H + H2SO4 ⇔ SO3 (三酸化硫黄) + H3O (オキソニウムイオン) + HSO4 (硫酸水素イオン)
     、    H + HSO4 → H2SO4 (酸触媒)

  硫酸では反応速度が遅く(この反応は可逆的で、硫酸の濃度が80%以下では反応は逆に進む)、発煙硫酸は高価であり、あるいは作りにくいので、五酸化リンで硫酸を脱水して三酸化硫黄の割合を増やすようにした。 五酸化リン(五酸化二リン、P2O5) 27g、 硫酸(H2SO4、97%) 60ml を250ccフラスコに入れ、冷却管(* 写真の還流管では不足だった)を付けて、オイルバスで約200℃に熱しておく。 ベンゼン50mlをゆっくり滴下すると還流しながら激しく反応する。
  この液の中和用に、水酸化ナトリウム(NaOH、93%) 95gを 水150mlに溶かしてよく冷却しておいたものを、氷水で冷やしながら、十分注意して駒込ピペットで一滴ずつ加える。特に最初は非常に激しく反応するので、防護面、ゴム手袋をして行ない、頻繁に液を冷やす。(突沸注意)

  中和し終えたら、フラスコを沸点近くまで加熱し、硫酸ナトリウム(芒硝)が熱水に溶けにくく、約32℃までは一定の溶解度であることを利用して、傾寫して上澄みを別のビーカーに入れる。10℃以下で一晩おくと、ベンゼンスルホン酸ナトリウムの結晶(柔らかい軽い沈殿)ができるので、吸引ろ過して、そのまま乾燥する。 ろ液を少し煮詰めて冷やすと もう少しとれる。
  硫酸ナトリウムなどの不純物が多少混じるが、その後の実験には差し障りがないのでこうする。(純品を作ろうとするとかなり目減りする)

  (* 水酸化ナトリウムで中和する代わりに、過剰量の飽和食塩水溶液に注いで、冷却すると、同様に ベンゼンスルホン酸ナトリウムの結晶ができる。)

  ベンゼンスルホン酸を水酸化ナトリウムと溶融する(あるいは、高圧下でクロロベンゼンと水酸化ナトリウム水溶液と反応させる)と、スルホ基やクロロ基は電子求引性が大であり、水酸化物イオン OH求核置換反応を起こすので、ナトリウム・フェノキシド(フェノールのナトリウム塩)が生成する。 これを酸で中和するとフェノール(C6H5OH)が遊離する。
  * 塩化鉄(V)で呈色反応(紫)を見る場合は、正確に中性にしておく必要がある。(酸性では無色、アルカリ性では酸化鉄が沈殿)

   




    § 炭素という元素の特異性:


  有機化合物は、生物体に関与する一群の炭素化合物として、伝統的に この名で呼ばれています。 現在118種の元素(同位体はもっと多い)の中で、炭素(C、 原子番号6、 12C(98.9%)、13C(1.1%)、14C(1.2×10-12、放射性))のみが唯一無限の多様性をもつ物質を作る材料になり得ます。生体を構成する たんぱく質、核酸、糖、脂質もすべて炭素化合物です。それは、炭素が、 -C-C-、-C-O-、-C-N- などの連鎖を任意の数だけ繰り返して共有結合できる唯一の元素だからです。
  炭素の共有結合のうち、単結合(-C-C-、-C-O-、-C-N- など)は σ結合のみが担い、 2重結合などの多重結合(-C=C-、-C≡C-、)や 芳香族(ベンゼン環など)や複素環化合物(フラン環、ピリジン環など)の結合は 1個のσ結合と 1〜2個のπ結合が担います。ダイヤモンドの硬さや フラーレンC60、カーボンナノチューブの丈夫な構造は σ結合、グラファイト(黒鉛)の滑りやすさは面と面との間の π結合によります。

  cf. たとえば、14族の次の周期の ケイ素(Si)、ゲルマニウム(Ge)なども 4本の結合手を持ち、有機ケイ素化合物の一群が知られていますが、炭素に比べて非常に少なく、不安定です。 地上の生物の体内で、新陳代謝されうるケイ素化合物は存在しません。(cf. ケイ素はグラファイト構造をもたない)

  cf. 水素結合はもっぱら、陰性原子上で電気的に弱い陽性 (δ+) を帯びた水素(Hδ+)が、周囲の電気的に陰性な原子(水の酸素、OH基の O など)との間に引き起こす静電的な力であり、生体高分子において水素結合は、たんぱく質が2次以上の高次構造を形成する際、また、DNA(核酸)の塩基同士が相補的に結びついて2重螺旋構造を形成するときに必要な駆動力となっています。


  ここで、中性子の質量が、現在の値(1.6749×10-24g )と異なる場合を想定して、星による元素生成を考えてみましょう。

  @ 中性子の質量が0.1%軽い場合: 星における核融合反応が起こるための重力が小さくなり、原子核の生成が、せいぜい”ヘリウム反応”によってで きるヘリウムからホウ素あたりまでになり、次の”炭素反応”が起こらず、炭素(C、原子番号6)以降の原子核(C、N、O、F、などすべて)が生成 できなくなる
  A 逆に、0.1%重い場合: 核子が重力によって集まると、瞬時に潰れて、星の質量によって中性子星かブラックホールになってしまう。
  星が炭素原子核を生成できる許容範囲は、電子の質量では1%以内、核力の”強い力”で2%、”弱い力”で 数%であり、重力定数G、光速 c、電磁気的定数(真空の誘電率ε0、真空の透磁率μ0) なども、わずかに違うと炭素原子核ができなくなってしまうことが見積もられている。 (温度が下がると、炭素原子核は自動的に電子を”着て”、炭素原子になる。)
      (by. 佐藤文隆 京大名誉教授)


  したがって、「神様」が、生物体のために、「炭素」という最高の材料を、非常にデリケートな条件で”設計”されたことが分かるのです。神様が、”炭素”を作るために、他のいろいろな物理定数を定めたとしか言いようがありません。
  物理定数や法則がなぜそのようになっているかを議論するのは、もはや科学ではなく”形而上学”の領域ですが、生命体が炭素原子を骨組みとする有機物によって複雑かつ秩序正しく構成されている現実を見ると、「ある偉大な創造主(サムシング・グレート)」という”知的な人格者”が存在して、森羅万象を「設計した」としか言いようがありません。




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